多段階化する人生と二刀流~理工系の研究活動と複数の分野での両刀は通用するのか?
「2022年度 第3回光輝会ジョイントフォーラム」その1
先ごろ中央大学理工学部において、(一社)セキュアIoTプラットフォーム協議会 シニア・女性光輝研究会の主催により、「2022年度 第3回光輝会ジョイントフォーラム」が開催された。当フォーラムでは、研究活動のみならず、複数分野で活躍される二刀流の研究者の話や、新たな社会基盤として注目を集めるメタバースのリスク評価、さらには耐量子暗号の考察など、幅広い観点で日本を代表する研究者よる議論が公開された。ここでは「多段階化する人生と2刀流」をテーマにしたセッション1についてレポートする。
明治時代からの先達に学ぶ! 歌人と研究者の二刀流スタイル
セッション1では「多段階化する人生と二刀流」をテーマに、複数分野で活躍される二刀流の研究者が招聘された。まず歌人であり、東京大学 副学長 大学院情報理工学系研究科教授の坂井修一氏が登壇した。
同氏は、すでに歌集を11冊ほど出版しており、歌人の芥川賞にあたる現代歌人協会賞を皮切りに、寺山修司短歌賞、若山牧水賞、日本歌人クラブ評論賞や、歌壇の最高賞である迢空賞、小野氏詩歌文学賞などを受賞。そのほかにもNHK短歌、角川短歌賞などの選者・選考委員なども担当している。まさに二刀流として活躍である。
そんな同氏が「理系研究者と短歌-21世紀の二刀流-」と題して、明治時代からの先達について紹介した。科学と短歌の二刀流として有名な人物としては、森郊外、斎藤茂吉、湯川秀樹などがいる。両刀づかいをどう見るかについては、たとえば「文壇からみれば、鴎外は文壇の仲間であり、官吏は彼の悪趣味ぐらいにしか思っていない」という松本清張の発言からも伺い知れるという。官吏=研究者も同じスタンスになるという。
斎藤茂吉は東京帝国大学の精神病学教室に所属していたが、同時に歌も詠んでいた。病脳を切断し、染色して顕微鏡でのぞくと、アケビの花を彷彿するという「赤光」をアララギで発表。ただし彼の場合は歌に熱中しすぎて、医学の方ではあまり評価されず、学者にはなれなかったようだ。論文も数本しか書いておらず、短歌の中において、茂吉が何の研究をやっているのかが伺われることが多かったという。
中間子理論の創設者である湯川秀樹は、まさに一流の歌人であった。原子爆弾が投下された後に「天地のわかれし時に成りしとふ原子ふたたび砕けちる今」という歌を残している。湯川は東西の教養に裏打ちされ、特に東洋の老荘思想に通じた詠風として知られる。巧拙だけでいえば、いまのプロの歌人にも負けない才能があったようだ。
石原純(あつし)はアララギ派の出身だが、アインシュタインの弟子でもあり、本当の意味で文理両刀の作品を生み出したプロ中のプロだ。昭和になってから発表した「数理の謎」は、両刀使いの代表作といえる。量子力学のヒルベルト空間などの用語が歌に出てくる。
真の二刀流とは、科学者としても歌人としても、ともに世の中を変える仕事をした人であり、そういう点では、まさに森鴎外や石原純は両刀と言える。また歌人に寄っているのは斎藤茂吉で、科学者に寄っているのは湯川秀樹である。堺井氏自身は、まだどちらになるか分からないという。
いま若手の二刀流もいるが、歌で生活することは難しい、そこで堺井氏は、「20代・30代は生業に力をいれ、40代では片隅で歌のことを考えながら、50代ぐらいで運が良ければ短歌中心の生活に入り、定年後に歌人に徹するのが良い」とアドバイスする。逆に若い時に諦めずに、頭の片隅で考え続けている時間やアイデアが、その後の開花にもつながる。10年あれば何事も、それなりのことはできるようになるが、その素養を若いうちから磨くことが大事なのだ。
電子情報通信研究者の道を選んだ後、80歳で小説家としてデビュー
小説家であり、京都工芸繊維大学 名誉教授の笠原正雄氏の講演は、大会委員長/中央大学 研究開発機構教授の辻井重男氏が代理として発表を行った。
笠原氏は、誤り定性符号や暗号理論の楕円曲線暗号などの研究で知られる。同氏は、もともと大学を出た時から、作家になろうか、あるいは電子情報通信工学の道を歩むべきか迷ったという。しかし研究者の道を選び、80歳から小説家としてデビューした異色の経歴の持ち主だ。
すでに「2センチの隙間」「リンゴの木の神様」「三郎と幸福のホテル」といった書籍(いずれもPHP研究所)などを毎年、世に出している。実はご子息の笠原健治氏は、ミクシィ創業者として知られる人物。同氏は幼少のころに、父の正雄氏からオリジナルの物語を寝る前に聞かされていたという。「そういった紡ぎが、現在の父親の書籍に結実している」と回想しているそうだ。
自然科学と法学の二刀流で感じたこと~元NEC研究者から弁護士へ転身
本セッションのトリを務めたのは、元日本電気 研究部長で、19年務めた同社を辞めて弁護士の資格を取り、IT関係の法律事務所を開設した宮内 宏氏だ。
なぜ同氏は技術職から、まったく異なる弁護士に転身したのであろうか? 同氏はNECでは情報セキュリティ技術の実用化に注力していた。2000年に電子署名法が成立したが、当時は法律の知識はなかったという。2004年になって法科大学院制度がスタートし、その一期生となった。他分野に専門を持つ者を法律家にするという理念に共感し、NECを辞めて法律家を目指すことにしたそうだ。
そして2007年に司法試験を受験して見事に合格。1年の司法修習のあと、司法修習の卒業試験にあたる2回目の試験を受け、晴れて法曹資格を得た。「弁護士になるまでに、試験を受けたり研修を受けたりしたことで、法律学と自然科学の違いに気づき、カルチャーショックも受けた」という。
たとえば古い判例では、<所論(当事者や代理人の、法律に関する見解)は畢竟(つまるところ)、独自の見解を述べるものであって、到底採用できない>という文に出会うことが多い。自然科学では、独自の見解かどうかは正しさの基準にはならない。しかし法学では、客観的事実を扱うのではなく、コンセンサスの学であり、他の学問とは異なるのだ。
法学は実験できないため、既存の判例・裁判例や、有力な学者の見解が重要になる。そういう点では歴史学や考古学などとも似ているが、一方で法学は実社会に大きく関与する実学でもある。法律学の体系や考え方は、ある程度の学習や実務の期間がないと習得が難しい。しかしモノにすれば、複数の視点から事実を見られるようになり、技術が関係する事件や制度設計についての有益な活動ができるようになるという。
宮内氏は、自身の経験から「自然科学と法学の2つの領域を知り、自分の思考を客観視できるようになったことが最大のメリットです。ただし二刀流のメリットを活かすには、各分野で相応の実力が求められるため大変です。新しい領域を学ぶことで、脳が活性化して若返ったような気がするので、これからも新しいことにチャレンジしていきたい」とまとめた。